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芸能人・黒柳徹子「アメリカのTVプロデューサー」が目覚めさせたプロ意識

芸能人の黒柳徹子は1953年にNHKの放送劇団に入団し、テレビ女優第1号になりました。それから65年以上にわたりタレント活動を続け、『徹子の部屋』45年、『世界ふしぎ発見!』35年、『ザ・ベストテン』12年など、数々の長寿番組に出演してきました。

テレビの世界に足を踏み入れる以前の黒柳徹子は、「自分の子どもに人形劇や絵本の読み聞かせを上手にできるお母さんになろう」と考えていました。この時、朝日新聞に掲載されていたNHK放送劇団の募集広告を見かけて、「絵本の読み方も教えてくれるかもしれない」と応募します。テレビの仕事は腰掛け、という認識だったのです。

その認識が変わったのは、アメリカNBCのプロデューサー、テッド・アレグレッティの影響です。テッド・アレグレッティはNHKに招かれて、指導や助言を行っていました。その一環として開いた講演で、「アメリカのテレビ局はスポンサーの影響でニュース・教養番組はテレビ放送全体の15%だが、公共放送のNHKではニュース・教養番組が主になると聞いているので、世界の風俗・習慣・戦争を見る事が出来るので、永久的な平和がテレビによってもたらせる」と話しました。

この講演について、黒柳徹子は「テレビをやって、みんなが平和になれるならいいなと思ったのが出発点でした」と『週刊朝日』のインタビューで振り返っています。それがテレビタレントに対するプロ意識の目覚めだったのです。

黒柳徹子はテッド・アレグレッティの影響を受けて、「テレビをやる」という信念を持ちました。このように信念は人間関係から生まれます。大切なのは、この信念論を自覚することです。

黒柳徹子とテッド・アレグレッティの関係は、「先人と後人」です。NBCはアメリカ三大ネットワークの一つで、NHKよりも15年早い1938年に開局しています。そんなNBCのプロデューサーが、テレビを世界平和の手段として訴えたからこそ、黒柳徹子は心を揺さぶられたのです。

黒柳徹子は1933年生まれの戦争体験者です。第二次世界大戦中、東京大空襲がきっかけで、青森県三戸郡の諏訪ノ平に疎開しています。テレビタレントとして働きながら、ユニセフの親善大使を長年務めているのも、こうした背景があるからです。

「やりたいことを仕事にする」というフレーズは、趣味や好みの話だけに限りません。ただ「なんとなく」始めた仕事でも、先人が語るビジョンに魅せられて、プロ意識が目覚めることもあります。多くの場合、それは「偶然」や「たまたま」と呼ばれます。しかし実際は、人間関係がもたらした「必然」なのです。

<今回の信念論>

  • 黒柳徹子はテッド・アレグレッティの影響を受けて、「テレビをやる」という信念を持った。
  • 黒柳徹子とテッド・アレグレッティの関係は「先人と後人」。
  • テッドに出会う以前からテレビの仕事はすでに始めていたが、テッドとの出会いによってプロ意識に目覚めた。

信念論とは?

人間関係に根ざした「だから自分はこれをやるんだ」という信念論が、行動力の正体です。信念論を知ることで、悩みや困難を乗り越えられるようになります。詳しくは下記リンクをご覧ください。