「偉大な祖父」を見習って政治家になった麻生太郎

政治家の麻生太郎は外務大臣時代に「自由と繁栄の弧」という外交政策を掲げました。これは東ヨーロッパ、中央アジア、東南アジアに民主化と市場経済化を根づかせることを目標にしています。

この「自由と繁栄の弧」のきっかけになった人物がいます。それは麻生の祖父である吉田茂です。吉田茂は東久邇宮内閣や幣原内閣で外務大臣を務めたのちに総理大臣になり、サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約を締結することで、日本の民主化と市場経済化を推し進めました。

吉田茂について、麻生太郎は『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』という著書を出しています。自分でも「原点」と言っているように、麻生太郎は吉田繁の「日本の民主化と市場経済化」に影響を受けて、「東ヨーロッパ、中央アジア、東南アジアの民主化と市場経済化」という信念を持っています。それが形になったのが、「外務大臣」という役職であり、「自由と繁栄の弧」という外交政策です。

「頑張ればうまくいく」という根性論でもなければ、「こうすればうまくいく」という方法論でもない、人間関係に根ざした「だから自分はこうするんだ」という信念論が人間には必要です。この信念論のパターンを覚えれば覚えるほど、自分の信念も自覚できるようになります。

麻生太郎の体験は「お手本」です。麻生太郎と吉田繁には「民主化・市場経済化」「外務大臣経験」「総理大臣経験」といった複数の共通点があります。歴史の教科書に載るような政治家を祖父に持つ孫が、政治家としてその祖父に自分を重ねるのは自然な成り行きです。

とはいえ、ただ影響を受けるだけでは単なる「言いなり」であり、「信念」にはなりません。同じ民主化と市場経済化でも、吉田茂は「日本」が対象なのに対して、麻生太郎は「東ヨーロッパ、中央アジア、東南アジア」が対象です。このように影響を受けつつ、自分が置かれた環境に合わせてアレンジできた時に、それが自分の信念になります。

吉田茂がサンフランシスコ平和会議に出席した時、麻生太郎はまだ小学生でした。サンフランシスコに向かう二日前、吉田茂は「ポーツマス条約に調印して戻ってきた小村寿太郎は国民から怒りを買い、沿道で石を投げれられ、家を焼かれた」と麻生太郎に話したと言います。

このことについて、麻生太郎は「父も母も祖父に同行して、サンフランシスコに行ってしまうし、家は焼かれてしまうかもしれない。大変なことになりそうなので、自分も覚悟をしなければならないと思ったことを覚えている」と振り返っています。

普通の小学生は「国民の怒りを買って、家を焼かれてしまうかもしれない」と心配したりしません。政治家になるだけでも大変な苦労ですが、名門政治家の家系に生まれ育つというのは、それに輪をかけた苦労を背負います。そうした体験から生まれる信念はとても強力です。世襲議員は「地盤、看板、鞄」の三つの点で有利と言われていますが、内面部分の継承も見逃せません。

麻生太郎にとって政治家は家業のようなものです。中小企業から大企業、政治家や歌舞伎役者に至るまで家業には、父親や祖父の影響が強く出ます。彼らの行動を「誰に影響を受けて、何かを考えたのか」という信念論に当てはめれば、思考ではなく信念こそが現実化しているのだとわかるはずです。

信念論とは?

人間関係に根ざした「だから自分はこれをやるんだ」という信念論が、行動力の正体です。信念論を知ることで、悩みや困難を乗り越えられるようになります。詳しくは下記リンクをご覧ください。